ファッション業界のレジェンド
憧れのハイブランドと言って、頭に浮かぶブランドの中に、【シャネル】【フェンディ】【クロエ】を真っ先に思い浮かべる方、多いのではないでしょうか。
実は、このハイブランドと大変関係性の深い人物こそ、[カール・ラガーフェルド(本名カール・オットー・ラガーフェルド)]です。
最近、ニュースで耳にした、という方もいるかと思います。
カール・ラガーフェルドは、先日の2019年2月19日に亡くなりました。
85歳でした。
デザイナーとしてデビューしてから70年間という長い間、ファッション業界を革新し続けてた偉大なデザイナーです。
今回は、そんな第一線で活躍し続けたカール・ラガーフェルドについて、詳しくご紹介していきます。
憧れのブランドのデザイナーについて、しっかりと知識をつけていきましょう。
カール・ラガーフェルドって?
【モードの皇帝】や【生きるレジェンド】など異名をもつことも有名な、カール・ラガーフェルド。
1933年にドイツ北部のハンブルクというところで生まれました。
ファッションを学ぶためにパリにあるパリ・オートクチュール組合が経営する学校に入学します。
その時の同級生に、ハイブランド創始者であるイヴ・サンローランの姿もありました。
また、日本のファッション学校で有名な文化服装学院名誉学院長である小池千枝も同級生でした。
1954年には、16歳デ国際羊毛事務局(現ザ・ウールマーク・カンパニー)主催デザインコンテストのコート部門で優勝します。
その後、オートクチュール・メゾンの創始者であるピエール・バルマンのアシスタントとして3年間働きます。
このように順調に見えたキャリアでしたが、ファッション業界から離れ2年間ほどビーチで過ごしてました。
本人曰く、「そこで人生というものを学んだと思う」と証しています。
一度リセットしてから、1964年にフリーランスデザイナーとして、【クロエ】と契約し、徐々に才能が認められすべてのデザインを任されるようになります。
彼がデザインを担当することで、パリのコアなブランドから世界的ブランドに変貌したのです。
翌年の1965年からは【フェンディ】とも契約し、四半世紀にわたりデザインを作り続けていました。
高級なファーに特化したしたことで、【フェンディ】は世界的ブランドとなっています。
さらに1982年には、【シャネル】のヘッドデザイナーに就任し、低迷していたシャネルを立て直します。
私生活においては、とても幅広く多趣味であり、自分のことを「プロのジレッタント」と言っていました。
□言語
言語はドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語を学んでいます。
□トータルプロデュース
デザインだけではなく、自らの広告写真撮影やスタイリングまでトータルで手掛けます。
□愛したオシャレアイテム
デザイナーらしく大変オシャレであり、クロムハーツマニアとしてもとても有名です。
そのたくさんのクロムハーツアイテムの指先にあるネイルのお手入れも、他人に触られたくないため自ら念入りに行っていたようです。
□愛猫シュペット
そして忘れてはいけないのが、愛猫シュペットちゃんです。
その出会いは、知人のシュペットちゃんを一時預かりした時です。
カールは一目ぼれしてしまい、一時預かりだったはずがそのまま返さずに飼ってしまったそうです。
シュペットちゃんは、さまざまなブランドモデルにもなっています。
さらに専属のメイドが2人もいたそうです。
□ペプシLOVE
ペプシが大好きだったカールの周りには、パーティー時、ペプシサーブ担当がいたほどです。
多くのコラボレーション
カールは、様々な多種なブランド・企業と契約を結び活躍していました。
■ディーゼル
2002年、創業者レンツォ・ロッソに依頼され、デニムでコラボしました。
そのデニムは、とても注目を浴び、ニューヨークでは1週間で9割が売れるほどでした。
■H&M
2004年にファストファッションH&Mとコラボしました。
高級ブランドを手掛けているデザイナーがファストファッションとコラボするということは前例がなく、とても話題となりました。
さらにそのCMにもカール自身も出演しました。
■シュタイフ
ドイツの高級ぬいぐるみブランドとコラボし、テディベアをリリースしました。
■そごう・西武
2016年には、日本の有名百貨店の一つであるそごう・西武グループとコラボし、Limited Edition By Karl Lagerfeld"のラインを展開しました。
カール・ラガーフェルドについてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
【生きるレジェンド】として、生涯現役でファッション界を牽引してきました。
オシャレ好きファッション好きさんは、知っておくべきデザイナーのひとりです。
ぜひ覚えておいてくださいね。