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銀座の老舗喫茶店で優雅なひとときを

 

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銀座の老舗喫茶店で優雅なひとときを

銀座には、日本を代表する歴史ある喫茶店が、古き良き伝統を守りながら営業を続けています。
そのお店は、素敵な空間と最高のおもてなしで私たちを優雅なひとときにいなざってくれます。
今回は銀座の街でずっと輝き続ける、老舗の喫茶店を2店、ご紹介します。

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銀座ウエスト本店

銀座ウエスト本店は、1947年(昭和24年)創業の洋菓子舗です。
青い看板が印象的なお店の店頭には、ケーキや焼き菓子などの洋菓子が並ぶ売店があり、開店後から多くの人が訪れます。

売店の左手には、ひっそりと喫茶室のドアがあります。
ドアを開けると、入り口には年季の入ったレコード棚があります。
そして奥行きのある、ベージュの色合いで統一された、上品な空間が広がります。

テーブルには、白くパリッとしたテーブルクロスがかかっており、季節の花々が添えられています。
茶色の日本人の背もたれの高いソファは座りやすく、銀食器も磨き上げられてピカピカです。
会話を邪魔しないほどの、やさしい音量のクラシック音楽が流れています。
そんな特別な場所で過ごすお茶の時間はとても贅沢で、ここでしか味わえないものです。

では、銀座ウエストの歴史についてたどってみましょう。
銀座ウエストの前身は、「グリル・ウエスト銀座」という高級レストランでした。
この近辺は、昔は西銀座と呼ばれていたことからこの店名になりました。
移築した蔵を改装した店で、ビーフステーキをメインにしたフルコースの洋食を出していました。

開業半年で、贅沢を規制する都の条例により、路線変更を余儀なくされ、洋菓子舗に路線変更し、「GRILL WEST GINZA」のGRILL とGINZAがひっくり返り、GINZAが抜けた店名となる「銀座ウエスト」として、営業を新たにスタートしました。

創業翌年の1948年(昭和25年)には、「名曲のゆうべ」というクラシックのレコードを流す時間が設けられました。
プログラムを組み、解説を付けるなどの画期的な工夫がされたものでした。
ピアノの形の蓄音機も導入されました。
そして、音楽喫茶として文化人の集うサロンとなっていきました。

1962年(昭和37年)に始まった駐車場の工事により、生菓子の売り上げが激減してしまったことを機会に、缶入りのクッキーを料亭などに販売するようになりました。
そのクッキーを大きくし、ナッツなどの風味を加えたものが「ドライケーキ」となりました。
このドライケーキは、贈答品として長く愛される商品となりました。

店内に置かれている水色のリーフレットは、創業時から続く投稿コーナーで、散文、随筆、詩、その他の小品より毎週一編が掲載されています。
インターネットでも2003年からの作品を読むことができます。
そして2009年からは、月刊の「文藝春秋」で、著名人による同名のショートエッセイが掲載されています。
銀座ウエストは、こだわりのティータイムを楽しむのと同時に、良質な音楽のみならず、文学とも触れられる喫茶室なのです。

銀座ウエスト本店の喫茶室では、こだわりの素材や自家製のマヨネーズで作られたサンドイッチや、人工香料や着色料を使用せず、添加物を極力使用していない生ケーキやドライケーキを最高のおもてなしでいただけます。

コーヒーや紅茶はおかわり自由で、店員さんが「おかわりはいかがですか?」と声をかけてくれます。
ケーキはトレイに全種類のせてテーブルまで持ってきてくれて、カラフルな彩りにうっとりします。

こちらはモザイクケーキとホットコーヒーのセットです。
モザイクケーキはバタークリームの懐かしい味わいで、ハンドドリップで淹れたコーヒーも格別のおいしさです。
ここでしか味わえない「特別感」をぜひ味わいにいってみませんか?

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資生堂パーラー

140年の歴史を持ち、日本を代表する化粧品ブランドの資生堂は、花椿通りの名称が出来たきっかけとなったほどに、銀座のシンボルとして有名です。
美の創造だけでなく、食の文化においても、「資生堂パーラー」として、いつの時代もメニューの継承と最先端の発信を続けています。

では、昔ながらのメニューと、新たな試みで、長い間人々を魅了している資生堂パーラーの歴史についてまずは見ていきましょう。

資生堂パーラーは、1902年(明治35年)に、資生堂薬局内に「ソーダファウンテン」として誕生しました。
資生堂創業者の福原有信が欧米視察後にアメリカのドラッグストアを模して設置したもので、日本で初めてのソーダ水や、まだ珍しかったアイスクリームの製造と販売を行いました。
福原有信のポリシーは本物志向であり、ソーダ水の製造機やコップやスプーン・ストロー・シロップに至るまで、アメリカ製にこだわりました。

ソーダファウンテンは、銀座の街を闊歩したモボ・モガモダンボーイ・モダンガール)が利用しました。
新橋の芸者も当時の顧客であり、ソーダ水一杯にオイデルミンという現在も資生堂を代表する化粧水を一本提供しました。
顧客の渇きを潤す飲料として宣伝し、大当たりしたそうです。

1928年(昭和3年)、「資生堂アイスクリームパーラー」と改称し、カレーライスやチキンライスなどの本格的な西洋料理を提供しました。
2階建てのオーケストラボックスやシャンデリアの下がる空間でした。

1931年(昭和6年)、3代目料理長の高石鍈之助により「ミートクロケット」がメニューに加わり、1932年(昭和7年)には、花椿ビスケットが登場しました。

1954年(昭和29年)、「株式会社資生堂パーラー」に商号を変更し、1962年(昭和37年)には、当時の銀座で最高層のビルとなった資生堂会館が完成しました。

1973年(昭和48年)に「資生堂パーラービル」としてリニューアルし、フランス料理店「レストランロオジエ」「バーロオジエ」、喫茶室「サロン・ド・カフェ」が新設されました。

2001年(平成13年)には、設計はスペイン出身の建築家リカルド・ボフィルにより、「東京銀座資生堂ビル」として生まれ変わりました。

芸術家や文豪にも愛され、小説に登場するなど銀座のシンボルともいえる資生堂パーラーは、現在に至るまで長きに渡り愛されています。

東京銀座資生堂ビルの各階は、以下のようになっています。

≪1階≫ 資生堂パーラー 銀座本店ショップ
花椿ビスケットやアイスクリーム、ケーキなど、贈答品としても喜ばれる商品が集まっているショップです。
≪3階≫ 資生堂パーラー サロン・ド・カフェ
ソーダファウンテンを受け継ぐ、明治時代からのメニューやデザートをいただけるカフェです。
≪4・5階≫ 資生堂パーラー 銀座本店
西洋料理の先駆けとして、ミートクロケットやマカロニグラタンなどの伝統的で懐かしい料理を味わえるレストランです。
≪9階≫ ワード資生堂ホール
パーティーや講演会、セミナーなどを行える多目的ホールです。
≪10階≫ FARO(ファロ)
現代のイタリア料理と日本の食文化を重ね合わせた新しい食体験が出来るレストランです。
≪11階≫ BAR/S
最上階の銀座の街を見渡せる各階のメニューのアレンジも味わえるバーです。

3階のサロン・ド・カフェでは、格式の高いレストランのような空間で、特別な時間を過ごすことができます。

心地よくてさりげないおもてなしの接客がうれしく、テーブルに添えられた週に2回変えられるお花、レンガ色の落ちついた壁の色を眺めているとそれだけで心が満たされます。

こちらのお店では、季節のフルーツをふんだんに使用した、パフェ、ケーキセット、フルーツサンドなどのメニューを堪能できます。

1959年(昭和34年)に登場したストロベリーパフェは、大人気の定番メニューです。
いちごが旬の時期には、こだわりの“苺”フェアが開催されています。
全国各地の選りすぐりのいちごを使用したストロベリーパフェを堪能できます。

新鮮で甘いいちごと伝統的なアイスクリームの相性は最高で、ぜひ味わってみたい逸品です。

こちらは、香川県 木田郡三木町産さぬきひめのストロベリーパフェです。
真っ赤でつやつやとしたいちごがとてもかわいらしいです。
アイスクリームやソースなどの仕立てを工夫し、糖質量10gに抑えた低糖質版もあるのがヘルシー志向の方にもマッチしており、ありがたい配慮です。

いかがでしたでしょうか?
銀座の街を訪れたら、長い歴史を持ち、多くの人を惹きつけてやまない、素敵な空間に足を運んでみてくださいね。

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